自慢どころ Pickup

加古川
山田の里
水辺の学校
播磨国風土記

市場地区の紹介

市場地区は兵庫県中南部に位置する小野市にある6地区の内の一つです。小野市の最も南の地区で、三木市と隣接しています。

市場地区は、小野市最大の住宅地「育ヶ丘団地」と、工業団地「匠台」があり、山陽自動車道の「三木小野IC」も設置されています。

一方、東の美しい山間には江戸時代につくられたダムのような、「鶴池・亀池」があり、その池を源泉に山田川が流れ、ウォーキングコース「小野ハミングウェイ」、「山田の里公園」、環境保全・自然体験場「水辺の楽校」が整備されています。地区西側は兵庫県最大の一級河川「加古川」が流れ、美しい自然を四季折々感じることができます。


市場地区“知っ得”

■下司次郎太夫(げしじろうだゆう)
市場小学校の南に「下司館」と呼ばれる場所がありました。ここは、平重衡の家来で「南都焼討」に参加した下司次郎の屋敷跡と言われています。
下司次郎は、重衡が灯りを持ってくるよう命じたのを勘違いして民家に火を掛け、それが原因で東大寺や興福寺が焼け落ち、多数の僧侶が焼け死にする大参事となります。下司次郎はこの後熱病に罹り死亡しますが、これは南都焼き討ちの仏罰だと言われたそうです。

■善阿上人(ぜんあしょうにん)
来迎寺は、縁起によれば、東大寺再建の責任者であり、小野市の国宝浄土寺を建立した俊乗坊重源が開いたと伝えられています。重源は東大寺再建の費用に充 てるため東大寺の荘園であった大部荘の開発を進めるため当地に来た時、聖地をみつけ、弟子の善阿に命じ寺院を建立したといいます。
善阿は下司次郎の甥で、下司次郎の妹であった母が、南都焼討で犠牲になった人を弔うため、重源の弟子にしました。善阿は来迎寺の建設を進めると共に近くに湧き出た霊泉で修業に励んだと言われます。

■近藤亀蔵(こんどうかめぞう)
江戸時代後期の豪商で、東の本間と並び西日本一の豪商といわれました。亀蔵は商売だけでなく、地域の発展や慈善事業にも熱心で、灌漑用のため池「鶴池・亀池」を約3000両の費用と3年の月日をかけ完成させました。

■上田三四二(うえだみよじ)
宮中歌会始選者(歌人・小説家・文芸評論家・内科医)
上田三四二は、1923(大正12)年、小野市樫山町に生れました。京都大学医学部卒業後、医療に従事する傍ら、1949(昭和24年)歌詞「新月」に参加し、歌人として活動を始められました。
短歌のほか、評論や小説でも高い評価を受け、迢空賞、読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞、川端康成文学賞、芸術院賞、紫綬褒章など多くの賞を受賞し、昭和の文芸界に大きな足跡を残しました。
小野市では、上田三四二氏の功績を称え、平成2年より始まった上田三四二記念小野市短歌フォーラムは、毎年6月の第1土曜に開催しています。
選者は馬場あき子氏、永田和宏氏で、全国公募の短歌約5千首の中から選ばれた入選者の表彰式と選者による講評が行われます。
また、上田三四二記念小野市短歌フォーラムの第20回を機に創設した「小野市詩歌文学賞」は、詩歌の発展をより一層願うものです。